【ニコニコミュニティ】みさおの部屋

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つまらない話

客観的ってなんだろなって最近ちょくちょく考える。

客観的-特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま。

そして対義語の主観的は

主観的-自分ひとりのものの見方、感じ方によっているさま。

らしい。

例えばAさんとBさんとCさんが居るとする。
AさんはBさんがとても嫌い、殺意で気が狂いそうなくらい嫌い。
Bさんは別にAさんを好きでも嫌いでも無い、それどころか眼中にすら無いし名前を覚えてすらいないかもしれない。
Cさんはただの通行人、通行人AのCさん(通行人Bなど存在しないわけだが)。

とある昼下がり、どっかの道端でうっかりAさんとBさんが鉢合わせてしまった。
AさんはBさんが嫌いだから、たまたま持っていた白虎隊と彫られた木刀でBさんを殴打し殺そうとした。
Aさんは危機を察知し、咄嗟にたまたま持っていた果物ナイフで襲いかかってきたBさんを刺殺してしまった。いや、お見事。
そんな現場をたまたま通りかかったが為に見てしまったCさん。
AさんはCさんに問いかける。
「殺されそうになったから殺しました。これって先に明確な殺意を持って襲ってきこの人と渋々ながら自分の命を守る為に人を殺した僕とどっちが悪人ですかね?」
さあ、Cさんは考えなければならない。あくまで客観的に考えなければならない。何故ならCさんはただの事件の目撃者であるからで、舞台に群がる観客であっても劇を演じる役者では無いのだから。
しかし、ここで問題が発生する。
ここでどの様に考え、どの様な答えを出したところでそれはきっとCさんの客観的な主観でしかないのだ。
例えばCさんが襲ったAさんが悪いと結論付けたとする、しかしその3メートル後ろで見ていたDさん(新キャラ)は理由はどうあれ実際に殺したBが悪いと結論を出すかもしれない。
ほぼ同じ立場で見ていたにも関わらず何故違う結論になるのだろうか?
これは個人の歩んできた人生の経験、成功、失敗、トラウマなど様々なファクターに影響されているからだ。
そして、客観的な結論に影響を及ぼすこの様々なファクターこそが主観とも取れる。
つまり客観的な考えとは所詮人間個人の主観の集合体なのでは無いか、集合体ではなくとも客観的思考の成分に少なからず、あるいは多量に主観的思考は含まれているのではないか?
だとしたら自分という立場に縛られている人間には無理なのではないだろうか?
客観的な考えを出来るモノはPC(思考してるか怪しい)か神(そもそも神なんて偶像も人間個々人が生み出した主観の集合体であるのでは)という人の枠組みを超えたモノなのではないだろうか。

という下らない事を考えてたら西洋史の講義が終わってた。
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